【資料室から】永遠平和のために
- Cegua
- 1 日前
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こんにちは、資料室司書のCeguaです。
今回は、カント(1724-1804)著『永遠平和のために』(Immanuel Kant "Zum ewigen frieden" 1795)を取り上げます。
弊所資料室に所蔵しているのは、1985年刊行の岩波文庫版。「第二補説」を加えた増補版(1796)を宇都宮芳明氏が日本語訳したものです。

1740年にケーニヒスベルグ大学に入学するも父の死去に伴い退学し、家庭教師のアルバイトで生計を立てたりと苦しい時期もあったようです。1766年にケーニヒスベルク王立図書館副司書官・博物美術標本室監督を兼任、1770年にはケーニヒスベルグ大学の論理学・形而上学正教授に任命され、1786年には大学総長に就任しました。
生涯独身で、近所の人がカントの散歩姿を見て時計の狂いを直したというエピソードがあるほど規則正しい生活を送った人。また、論敵であると同時に友人でもあったヨハン・ゲオルク・ハーマンとウィットに富んだ会話を楽しむ人でもあったようです。
1781年に刊行された『純粋理性批判』が主著として挙げられます。
カントはこの『永遠平和のために』を著した時、すでに71歳になっていました。「執筆の直接の動機となったのは、1795年4月、革命後のフランスとプロイセンの間にかわされたバーゼル平和条約に対する不信であったと思われる」と訳者による解説にあります。
1792年から1802年にかけて、ヨーロッパは「フランス革命戦争」と呼ばれる戦乱の渦中にありました。バーゼル平和条約は、プロイセンがフランスに対して戦争の継続を断念し、講和を決めたものでしたが、それについてのカントの懐疑は”将来の戦争の種をひそやかに保留して締結された平和条約は、決して平和条約とみなされてはならない”という第一予備条項に直結しています。
タイトルの「永遠平和のために」には「風刺的な標題」とカント本人による注釈が付いています。タイトルそのまま、「永遠の平和のためにはどうしたらよいか」について書かれた本であり、真面目なタイトルに見えますが、元々は「オランダ人の旅館業者が看板に記していた文字で、その上に墓地が描かれたりしていた」!R.I.P.をタイトルにしたようなものです。またこれは、検閲に対する作戦でもあったようです。
自分の頭の中の整理も兼ねて長々と前置きでした。
さて、この本は2章と補説、付録からなる、ほんの100ページほどの著作です。目次を挙げます。
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第一章 この章は、国家間の永遠平和のための予備条項を含む
第一条項 将来の戦争の種をひそやかに保留して締結された平和条約は、決して平和条約とみなされてはならない
第二条項 独立しているいかなる国家(小国であろうと、大国であろうと、この場合は問題ではない)も、継承、交換、買収、または贈与によって、他の国家がこれを取得できるということがあってはならない
第三条項 常備軍(miles perpetuus)は、時とともに全廃されなければならない
第四条項 国家の対外紛争に関しては、いかなる国債も発行されてはならない
第五条項 いかなる国家も、ほかの国家の体制や統治に、暴力をもって干渉してはならな
第六条項 いかなる国家も、他国との戦争において、将来の平和時における相互間の信頼を不可能にしてしまうような行為をしてはならない
第二章 この章は、国家間の永遠平和のための確定条項を含む
第一確定条項 各国家における市民的体制は、共和的でなければならない
第二確定条項 国際法は、自由な諸国家の連合制度に基礎を置くべきである
第三確定条項 世界市民法は、普遍的な友好をもたらす諸条件に制限されなければならない
第一補説 永遠平和の保証について
第二補説 永遠平和のための秘密条項
付録
1 永遠平和という見地から見た道徳と政治の不一致について
2 公法の先験的概念による政治と道徳の一致について
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解説によると、第一章が「殲滅戦を防ぎ、永遠平和への展望を開くための諸条件」、第二章は「永遠平和が実現するための具体的な諸条件」(p.129)であるとのこと。
「つまり永遠平和を実現するには、国内体制にかんしては共和制の確立が(第一確定条項)、国際体制にかんしては自由な諸国家の連合制度の確立が(第二確定条項)、世界市民法にかんしては普遍的な友好権の確立が(第三確定条項)、それぞれ必要とされる」(同)とあります。国際連盟、国際連合は実現しましたが、21世紀になっても戦火の止まない状況には暗澹たる気持ちになります。
弊所として見逃せないのは、やはり第一章第三条項の「常備軍は、時とともに全廃されなければならない」(p.16)です。この条項はとても短く、13行しかありません。全廃されなければならない理由がまず示されます。
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なぜなら、常備軍はいつでも武装して出撃する準備を整えていることによって、
他の諸国を絶えず戦争の脅威に晒しているからである。(p.16)
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続いて「常備軍が刺戟となって、互いに無再現な軍備の拡大を競うようになると、それに費やされる軍事費の増大で、ついには平和の方が短期の戦争よりもいっそう重荷となり、常備軍そのものが先制攻撃の原因となるのである」
ここで私が想起するのは、『もっとおおきなたいほうを』であり、さらには、大田昌秀さんの「軍隊は民間人を守らない」という言葉です。
少し気になるのは「人を殺したり人に殺されたりするために雇われることは、人間がたんなる機械や道具としてほかのものの(国家の)手で使用されることを含んでいると思われるが、こうした使用は、われわれ自身の人格における人間性の権利とおよそ調和しないであろう」に続く、この文章です。
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だが国民が自発的に一定期間にわたって武器使用を練習し、自分や祖国を外からの攻撃に対して防備することは、
これとはまったく別の事柄である。(p.17)
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この「これとは」の<これ>はどこを指すのでしょうか。
自発的に行うのだから、「われわれ自身の人格における人間性の権利とおよそ調和」する、ということなのでしょうか。すべての<戦争>に反対の立場であるわたしとしてはちょっと首肯しかねるところです。
しかしながら、フィゲーレスが武装蜂起したのはまさに、自発的に、”自分や祖国を防備する”ために行ったことだと考えると、ある程度は納得がいきます。また当時は軍隊と言えば「傭兵」であったことを知り、膝を打ったところです。この考え方が敷衍され、悪用されないことを祈ります。
また、第二章第三確定条項(p.47)の「世界市民法は、普遍的な友好をもたらす諸条件に制限されなければならない」において、日本に言及されています。「来航するヨーロッパ民族のうちの一民族に過ぎないオランダ人だけに許可し、(中略)自国民との交際から閉め出した」(p.49)、と鎖国政策について評価しています。1795年は寛政7年、江戸時代真っ只中。蔦屋重三郎(1797年47歳で死去)、東洲斎写楽(その前年からほんの10ヶ月間でしたが)が活躍していた頃です。
これは当時の「われわれ大陸の文明化された国家、特に商業活動の盛んな諸国家の非友好的な態度」に比してのこと、「かれらがほかの土地やほかの民族を訪問する際に(訪問することは、かれらにとって、そこを征服することと同じことを意味するが)示す不正は、恐るべき程度にまで達している」(p.48−49)、アメリカなどの先住民を無に等しい存在と存在とみなしたために引き起こされた「飢え、反乱、裏切り、そのほか人類を苦しめるあらゆる災厄」(p.49)に対しての評価でした。
「地球の表面は球体で、人間はこの地表の上を無限に分散していくことはできず、結局は併存して互いに忍耐し合わなければならない」(p.47-48)とも書いています。ヨーロッパのほとんどが専制君主国だった頃、ケーニヒスベルクからほとんど出ることがなかったカントの見識と洞察力に、驚かされます。
さて、この小さな本は、晩年のカントが止むに止まれず書いた、「永遠平和がたんなる空想ではなくそれが実現可能であることの論証を含む」(解説p.132)著作です。
カントは第二章冒頭で、「一緒に生活する人間の間の平和状態は、何ら自然状態(status naturalis)ではない。自然状態は、むしろ戦争状態である」(p.26)と述べています。「それゆえ、平和状態は、創設されなければならない」(同)。そのための根拠と方法を書いたのが、この著作でした。「小さな本」としたのは、確実に読んでもらうためだったのです。
「永遠平和」なんて、と今でも「お花畑」だと揶揄されることがありますが、カントはそれらへの反証を理想論ではなく哲学的に組み上げました。タイトルから誤解する人が多いようですが、ここで語られているのは決して<理想論>ではなく、本来であれば争ってしまう性質を持つ人間が、どのようにすれば「永遠平和」を実現できるのか、そのことについて考え、著されたものでした。
以下の、最後のページ(p.111)の言葉には、フィゲーレスの「平和とは、終わりなき闘いである」を想起させられます。
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たとえ限りなく前進しながら近づくしかないとしても、公法の状態を実現することが義務であり、実現の希望にも根拠があるとすると、これまで誤ってそう呼ばれてきた平和条約(これは実は休戦に過ぎない)のあとに続く真の永遠平和(傍点)は、決して空虚な理念ではなくて、我々に課せられた課題である。
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冒頭に書いた通り、弊所では宇都宮芳明氏訳の岩波文庫版だけを所蔵していますが、他にも複数の翻訳が存在し、一番新しいものでは丘沢静也氏訳の『永遠の平和のために』(講談社学術文庫, 2022年刊)があります。ちらっと読んだだけですが、宇都宮氏訳より読みやすいかな、という印象を受けました。また2016年には「100分de名著」でも放送され、そのテキストの大幅な加筆修正版が2020年に出版されています。
その他にも、手に取りやすいものから学術的なものまで、多数の『永遠平和のために』をめぐる本があります(画像はそのほんの一部です)。200年以上前に書かれた本が、現在も読まれ、新訳がなされ、研究対象となっていることに、カントの普遍性を感じます。

難解だとされているカントの著作の中でも、『永遠平和のために』は読みやすく、しかしカント哲学のエッセンスが散りばめられ、カント哲学の入門書としても最適!とのこと。是非手に取って、実現可能な「永遠平和」について考えてみませんか。そして少しずつ、平和を創っていきましょう。



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