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「持続可能国家」のルーツを探る

 コスタリカは、2050年までにカーボン・ニュートラルを目指しています。

 弊所では今、その全容を解明する「持続可能国家プロジェクト」を進めています。


 コスタリカにおける経済・社会の持続可能性において、ひとまず完成に近づいているのが、発電事業です。


 現在、コスタリカの年間電力総需要のうち、ほぼ99%がいわゆる再生可能エネルギー(以下再エネ)源によって発電されています。ざっくりとした内訳は、水力が7割前後、地熱と風力がそれぞれ1割5分程度です。2015年以降、コスタリカは毎年98%以上をこれらのエネルギー(太陽光とバイオマスも少々)で発電し、化石燃料による発電は1%前後にとどまっています。


 では、コスタリカはいつから再エネについて意識し始めたのでしょうか。


 そのことについて、電力会社などの関係者に尋ねると、「1949年のICE(コスタリカ電気公社)の設立からだ」と答えます。その根拠は、同年制定されたICE設立法です。その第二条のd項では、ICE設立の目的のひとつとして「天然資源の合理的な利用を追求し、その破壊的で無駄な搾取に終止符を打つこと」が挙げられています。さらには、そのために「電気を、輸入される燃料の替わりとする」ことを推進するとしています。


 しかし、それだけでは、再エネ100%発電を法的に裏付けることはできても、明確な動機とするにはやや弱い印象を受けます。もう少し、その根源については調べる必要がありそうです。


 ところで、コスタリカの電化の歴史を辿ると、意外と古いことがわかります。1884年には、米大陸ではニューヨークのブロードウェイ(1880年)に次いで2番目に、25のアーク灯で照らされた街こそ、その首都サンホセでした。世界初は1879年のパリだと言われていますから、そのわずか5年後。これは世界でもトップレベルの早さでした。


ちなみに日本初の電気街灯は1882年、銀座二丁目に灯されたものだと言われています。パリのわずか3年後です。明治維新から14年後ということも重ね合わせると、相当の早さだったと言えるのではないでしょうか。ちなみに、銀座もサンホセも同じアーク灯でした。

 当時の電化事情をざっと探ると、日本とコスタリカはほぼ同じ時期に似たような経過を辿っていることがわかります。1880年代にはじめての営業用水力発電所ができ、まず街灯を照らしたのち、路面電車にも給電を始めます。


 日本は、そこから化石燃料の使用を増やしていきましたが、コスタリカでは水力がメインとなりました。コスタリカ国内には化石燃料がなく輸入に頼らざるを得ないこと、燃やすものといえば化石燃料よりも薪であったこと、それ以前に水力資源が豊富であることなどがその背景にあると考えられます。


 つまり、「もともと化石燃料がなかった」こと自体が、現在の「再エネ100%発電」のルーツのひとつにあるということです。ただし、それだけではやはり要素としては極めて不十分です。国富を売り払ってでも石油を輸入する国はいくらでもあるからです。


 「再エネ(ほぼ)100%発電」に至る道のりには、まだまだたくさんの欠けたピースがあります。弊所では、それらをひとつずつ丁寧に拾っていき、組み上げていく作業を続けていきます。

サンホセのもっとも中心となるAvenida Centralの夜を照らす電灯。現在では国営電力会社ICEのグループ企業が、サンホセを囲む山の尾根に建設された風力発電所から給電している。

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